土木災害探偵。

拙著の紹介と土木をテーマとするブログです。天災人災マッドフラッドそして政災。事実を保証するものではなくエンタメ路線とかも入っています。

シェイプシフター龍!!詭弁と言う罠に気をつけろ!?我々は過去に何回も滅ぼされている。


 2サイクルはいかなるところをもって廃止となったか!?詭弁のその脅威にせまる。詭弁とはいろいろ定義されているけど漢字を読んで見ると危ない言い方!?言うなれば相手を騙す言葉と言って正論のようなことを言って裏では罠に引っかけることを言うのだ。それをもってだ。教育界をもって大御所の人は何て言ったかと言うと「創造力を養うには知識を出来るだけ詰め込んで行く。」とおっしゃっている。一見正論のように思うけど記憶力を酷使するから左脳偏重頭脳を造って頭の固い民衆を輩出する結果となる。英語を文法から教育するのは日本語は英語と真逆だから文法をのっけに教える。これも結果は読み書きは何とか出来るけど話せない民衆を生み出す。そもそもマッカーサーは識字率は90パーセントを越える日本人を脅威に思っていたのは知る人ぞ知るものだ。もし日本人に英語を教えて世界中を席捲をされたらアメリカ民主党の益にも反する。英語を方程式の数式を解くようにすることをもって教えて頭を機械化させて行くこととなる。産後に子供を母体から隔離するのは感染症を防ぐ目的だと言われている。更にはソフトカード言うなれば粉ミルクをもって育てろと言うものだけど子供のその頭脳に重大なストレスを与えてニューロンの張り具合を阻害するらしい。ニューロンのもっとも張り始めるのは出産後をもって母体と接触するときらしい。温暖化を防ぐには二酸化炭素を減らすようなことを言っている。けれども二酸化炭素を減らすと逆に植物は育たなくそして結果酸素も減らすこととなる。それに植物は夜には我々の排出する以上に二酸化炭素を排出されている。殆どの人らは知らない事実だ。二酸化炭素排出税は寡頭勢力のその懐に入る。人口を減らして社会秩序を調整すると言うけど裏では奴らのその支配を縦横無尽にするようなものと言える。さあそれをもって2サイクルはどうして廃止となったかは日本のその二輪産業に阻みを掛ける目的と言える。実を云うとその前にはGP500と言うレースをもってのレギュレーションは500cc2スト及び4ストのエンジンとされている。4ストはホンダのNR500V型4気筒エンジンを搭載したものもあったけど2ストの飛力には及ばないものだ。一回転に一回点火するのと2回転に一回点火するのとでは馬力の出る回転数に差を見受けるところとなる。低回転をもって馬力の出る2ストの方を良くするのは自明と言える。言うなればGP500は日本の独り舞台だったと言える。更にはそのフィードバックは国産二輪車にも及んでいた。二輪最速はそのときは2ストをもっての500ccのRG500γと言う最高速は220キロと言うものだった。言っとくけどそのときは国産生産は750ccまでとされていた。それをもって250ccをもって言うなれば200キロを出したTZR250なども海外勢力を脅かす。CB450及びCB750を封じ込んで行く目的をもって免許制度改定には飽き足らず優秀な日本の二輪産業へ追い打ちを掛けるべく京都議定書を掲げて言ってしまえば炭素排出税を吹っかけることとなった。2サイクルはカーボンを過剰に排出すると日本のその役所に圧力を掛けて二輪2スト車は生産中止とするところとなった。言っとくけど芯に近い憶測と言える。データを見ると日本の伸びる分野は目立ったとき世界的規制は掛けられている。日本なんか!?と言う奴はどれだけ世界は日本のその台頭を危険視しているかは知らないのだ。我々はもっと詭弁に敏感に対処しなければならないものと言える。詭弁は頭の固い民衆を左右に動かす。


 それをもって現ブログはマッドフラッドをもテーマにしている。真実は地下へ埋もれていると言う考えをもってやっている。前も取り上げたけど京都の街を闊歩するエイリアンを検非違使は退治すると言うゲーム言うなれば平安京エイリアンの原型は何か。そのようなイメージに潜んでいるものとは何か。そう言う誰のアイデアかを調べても明確な回答はないようだ。そしてだ。ただ漠然と東大のそのチームによって造られたものとなっている。まさかと思うけど複数のそのアイデアは一致していたと言うんではあるまいなと思うけどだ。て言うか。遠い記憶言うなれば人類は脅かされた記憶は共通のその意識上に蘇りそのゲームの原型となったようにも思考可能と言うことだ。爬虫類を見ると多くの人は怯えるのは太古に襲われていたからと言える。それと殆どの同一視線をもって思考すると恐らくは京都のその地下へ鬼!?の骨は埋まっているんじゃないかと思っている。そう言うと多くの人は嘲笑すると思うけど普遍的イメージの想起は多くのその集団の過去のその体験に起因すると言う心理学をもっての定理に見れる。更には南アメリカのカブレラストーンには恐竜と人間は等身大をもって会話されているシーンを描かれている。しかもその石はそんなに古くはないようだ。さあかのアメリカをもってスミソニアン博物館長は巨人のその骨を人知れず処分したと訴訟されていた文書を見受けている。巨人と恐竜は太古の昔ではなく1816年前にはいたんではないかと憶測をされている。巨人と恐竜は同一のその地層に骨はあった事実もあるのだ。更には巨体と言える。恐らくは皆さんは背筋は寒くなると思うけどタルタリアは1816年をもって滅んだ国だけどそのときはいろいろな生物種は共存されていたんではないかと憶測されているのだ。だからかそのとき滅ぼすにKAKUを使用されていたんではないだろうかと言うことだ。否。憶測じゃないのだ。ロシアをもっての版画へ異形の生物の描写を見受けるのだ。更にその上か驚きを隠せないのはタルタリア(モンゴル帝国言うなればタタールのくびき!?)はアメリカ北部まで伸びていた可能性をある証拠をもって見受けられる。樹齢200年の木々はカナダ周辺まで見られてそれ以上の樹齢の木々は見受けないでいたことだ。言って仕舞えばそれ以前の木々はKAKUによって跡形もないことだった。更にアメリカ北部の建物を掘り返すと地下7メートルまで続いていて窓を見受けて更に塩分によっての劣化を見受けていたところだ。もっと掘り返すと驚くところは言って仕舞えばレールを見受けたことだ。もっと昔から鉄道はあったこと。更にその後異形の生物は闊歩していたと言える。言ってしまえば人類は何回も何回も泥の洪水をもって滅ぼされていたと言える。人間は造られたものをもって行ってしまえば何回も何回も実験をされて酷い者はリセットされていたんだろう。もしそれは事実とすると我々も危ないものだ。と思う。