土木災害探偵。

拙著の紹介と土木をテーマとするブログです。天災人災マッドフラッドそして政災。事実を保証するものではなくエンタメ路線とかも入っています。

シェイプシフター龍!!左脳偏重者を騙すには嘘の情報に芥子粒くらいの真実を混ぜる。受難の駿馬トヨタ2000GTとは!?


 外務省はロシアのその侵攻を認めている!?東スポ系新聞3月22日(申し訳ないけど忘れてしまった!?)にウクライナドンパス地方のロシア人をウクライナ政府は虐殺!?されていることを日本の外務省は認めていたと言うものだ。その言うなれば真偽は触れない。ましてや貴重なこの場所ではそれには触れないこととする。どのようなニュースは出ても左脳偏重空間に置いてはメディアのコントロールによっては噓となったり事実となったりする。                                                        さあそれをもってだ。
 筆者はどうして日本人のその評価は頗る偏っているものだろうか過去に調べている。その調査は難航するだろうと思っていたけどそうでもないものだった。どのような意味か。洗脳と思いきやそうではなく別の意味で手の込んだものだった。言ってしまえばだ。ブレインコンディショニングだ。左脳右脳の大小をコントロールして洗脳に準ずることをする。一つの情報は流されたとする。埼玉にバケモノは出たと言うものだ。皆さんのその頭に左脳と右脳は備わっている。左脳は「え!?嘘!?バケモノなんているわけないじゃんよ!?」と思う。右脳は「え!?行って見よう!?」と思う。この二つの考えは拮抗して皆さんの考えは構成されている。どっちは多いかで常識人となったり非常識人となったりする。左脳及び右脳は程々に拮抗すると「バケモノかどうかは分からないけど言って確かめて見よう!?」と言うほぼ健全な思考となる。更には左脳と言うのは所見的評価をするのだ。少し鼻は上向いているなと思うと何と豚ッパナと判断する。目はきついなと思うとギョロメと判断する。左脳と言うのはデジタル頭と言える。右脳は言うなれば全体を見て判断して言ってしまえば写真に殆ど近い判断をする。言ってしまえばアナログ頭だ。
 ルーチンワークをするには左脳に軍配はあがる。一瞬にして頭ん中で端次項目を組み立てるからだ。言うなればコーディングだ。けれども情報の選別は下手で局所的見方をされてその部分は誤情報となると殆ど嘘と判断をされてオミットする。立て続けに情報は出てくるとどれは事実でどれは噓かわからなくなって情報を一本化したいと思って一つの嘘を信じ続けるところとなる。けれども右脳は真逆でいろいろな情報を集めて中で整合性を取れるものだけを取り入れてそれ以外は排除する。よって真実は頭ん中で構築されて行くところとなる。  更には真実は少数者より広まることを知っているから少数者をオミットしないのものと言える。けれども左脳は多い方を真実と判断する。よって少数者をオミットするところとなる。言うなれば情報コントロールするには左脳偏重空間を造ればいいのだ。よって記憶偏重教育をするところをもって左側を成長させるものとなる。
 左脳は局所的判断をすると言った。騙すには芥子粒くらいの真実を埋めて情報を放せばいいのだ。するとその部分は正しいと判断して以降殆どの情報は鵜呑みとなる。小さい真実を報道して大きい嘘をつく。左脳を騙すやり方だ。左脳はレッテルを貼って選別するのを好んでいるのはそのような機械的判断に都合いいからと言える。よってロボ人間となると情報に左右に振り回されボロボロとなって誰を信じていいか分からんなどと嘆くこととなるものだ。そもそもその考え自体嘘と言える。情報は殆どアナログと言えてそれを取り入れることは可能と言えるのは右脳だ。日本人は元々頭いい民族だったけどそれを恐れたア民主党らは左脳偏重にして愚民化をされていたと言える。真実を言っている人は誰もいない。いくつかの情報を整合させるだけだ。真実の情報とは目前に出現するものだ。


 さあそれをもってSTAP細胞の小保方さんはそれを見つけたけど寡頭勢力に潰された哀しい犠牲者の一人と言える。ドイツの研究者に何回やっても再現性はない!?などと言うTEL一つによってこれまでやって来た成果を一挙に潰されている。言って仕舞えば外資一つの言葉をもって日本のお役所は動いてしまったものと言える。それと殆ど同一のことを1962年くらいに生じていたことを知っているだろうか。その年代に鈴鹿サーキットをもって日本のっけの自動車レースはスタートする。けれども性能スタイル共々外国勢力の車に軍配を取られていたのだ。トヨタは外国勢力に軍配を取れるスポーツカーのデベロップに乗り出す。そのときに集まったエンジニアらは精々8人くらいだった。安定志向の日本人にとってスポーツカーなんてリスクのあるものはそのときは殆ど魅力はないようだった。その前にはコロナ1600と言う1600ccをもって100馬力を叩き出す2Tエンジンを積んだものは筆者の車だったけどフラックシップそのものだった。けれどもスポーツカーと言う概念はその後だった。たった8人のエンジニアでデベロップするには無理な筋だったと言える。 そのときYAMAHAから自社でやらしてくれと言うオファーを貰う。
 トヨタはスタイルは自分持ちでエンジンとシャーシをYAMAHAへ任せるところとなる。後で出てくるN崎さんと言うスタイルのデザイナーは受難を講じるところとなるけどそれはもう少し後に回す。
 シャーシとエンジンを受けていたYAMAHAはスカイラインGTRと殆ど同一のDOHC6気筒2000ccのエンジンをデベロップする。更にシャーシは先見の4輪ディスクブレーキを採用する。性能は最高速220キロそしてゼロヨン15秒9を弾き出す。性能はスカイラインを若干上回っていた。そのときレースレギュレーションは量産100台から500台に変更されてしまった。恐らくトヨタは外国勢を脅かす車をデベロップするニュースを聞きつけた寡頭勢力にレギュレーションを変更されてそのときは潰されていたと言える。けれども諦めず1964年にどうにか500台を達成してレースに出場する。
 さあ一位二位とポールトゥフィニッシュをしたときはトヨタ2000GTは有名となり北アメリカへ輸出する。けれども難癖をつけられリトラクタブルライトを付けざるを得ない状態となる。ライトは地上から一定の高さはなければならないなんて難癖を付けられた。もちろん潰すつもりだった。更にはそのスタイルデザインをやったN崎さんは言うなれば称賛される筈にも拘わらずどのような力は入ったか住宅課!?などと言う畑の異なる場所に飛ばされていたと言う。恐らくは寡頭勢力によって日本は言ってしまえば台頭しないよう左遷されていたものと言える。それからは2000GT程のものは出て来ずYAMAHAエンジンのスープラまで待つこととなる。このようにいつもいいところをもってレギュレーションを変更したり外圧を駆使して左遷したりして潰すものと言える。日本はいつも風采は上がらないのはそのせいだ。