土木災害探偵。

拙著の紹介と土木をテーマとするブログです。天災人災マッドフラッドそして政災。事実を保証するものではなくエンタメ路線とかも入っています。

常流と長波流はいい関係!?保身の上で多い方につくなんてズルくないか。


動画を見ると洪水の場面で波は出ているところは殆どないのは流入した後だからと言っていいだろう。波は出るのはある場所から水流を見受けるときとか豪雨の最中のときだけ。そうでない落ち着いたときの動画はプールのように波打っていない。しかしだ。よって洪水のときはいつもそうだと言うのは誤った考え。重力と関係する降雨時!?更に流入時をもって波は出て被害を出すのだ。そしてだ。水流には常流そして殆どは聞きなれない射流と言うものを見受ける。それをもってしてフルード数と言うものを関係させる。難しいようでそうでない。水流には流速そして波速を見受ける。波速より流速は速いとそのようなときは射流となってその逆は常流となる。更にその射流より常流に変わるとき跳水!?と言う現象を生じる。水の言ってしまうなら縦の渦だ。流速を波速で割った値はフルード数で>1はそれを射流と言い<1は常流と言う。上流側にその影響を受けるのは常流で浅さをもってブレーキは掛るとその波は上流の波とドミノのように合流して長波流を出すところとなる。どうでしょう。市街部をもって浅いのに波は高く変わるのは流速にブレーキは掛るからと言っていい。そしてどの場所かで跳水を見受ける。それを見受けなければ射流の状態は続く。それはそれで危ないようだ。とは言っても市街をもって射流は続くのは坂道だけと言える。ほぼ平面な市街は殆ど常流で流入時か激雨のとき高波は出て人とかモノをもっていってしまう。街角でその波はハチ合い合流すると高さは2倍となってそれをもって水中に潜ってしまう。浅いから油断するとそのような被害にあう。波は出たときはビルの屋上に避難する。


虐めをされている奴を助けたいけど自分も虐められると!?


昔はどう言うものか1対1の喧嘩は多いけど今は1対多数を多くする。


ひと昔そしてふた昔いまでもそうだけど!?虐めは社会問題となっている。集団で特定の個人を虐待する行為は看過するにしのびない。そもそもどのような過程をもってこのように及んだかはほぼハッキリしているようだ。どのような意味か。皆でやればこわくない。そしてだ。皆でやればそれは正義だと有形無形の洗脳をされていたからと言っていい。京大の藤井聡さんは虐めは集団的主義の現れと仰っている。そしてだ。皆やっているから自分もやると言っている。更にそれを周辺は見て見ぬようなふりをしている。もちろんそれを止めようとするのも少数だ。

集団には殆ど微力と言っていい。だったら自分も集団に入って行って保身しようと働くのだ。以上のその過程で集団=正義と言う思考は生じる。社会的主義国家はそのプロセスに集団虐めを入れているのはそのような効果を見受けるからだ。スケープゴートにされるのを危惧していざと言うときは多い方に甘んじる。集団イコール武器と思っている。その場所から集団に入ると幸せと言う考えに及ぶ。更にその保身の上で誰かをスケープゴートに立てようとする。そしてだ。公然的情報しか広まらないようになってそれで危険な状態にまでいってもう危険水域となっている。集団中へ行くと幸せに満たされると言う人は洗脳に掛り得ている可能性を見受ける。左翼らはいつも少数派は微力と洗脳する。だったら集団に入って保身を得ようとするのだ。悪循環は続いて全体的主義国家へと邁進して行く。ジェノサイド国家へ進んで行くのだ。政府よりも周辺はそうなっているのだ。