土木災害探偵。

拙著の紹介と土木をテーマとするブログです。天災人災マッドフラッドそして政災。事実を保証するものではなくエンタメ路線とかも入っています。

シェイプシフター龍!!本田宗一郎はいないでいたら日本は左翼社会となっていたようだ。SEOのような偏向評価をやめれば経済は回復する。

何十年か前に車両企業を大きい会社一本に統合する案はあった。けれども本田宗一郎はそれに真っ向から反対する。どのような意味かと言うとこの頃からトロッキー主義は吹き荒れていたのだ。左翼洗脳をされていた企業の重鎮は体制の簡略化を推し進めていた。言うなれば老舗とか地元企業を併合及び倒産させて商業のグリット化を推進していた。とは言えだ。凌ぎを削って競争することにて相互に企業同士は切磋琢磨して技術を向上させる環境を重く見た本田宗一郎はグリット化は競争のその秩序を乱れさせ大企業の独り舞台となって国は潤わないことを憂いていたと言える。一企業をもってだけ税金を払っても高は知れていると言うことだ。そう。このときから健全と言える資本主義をぶっ壊そうと言う勢力を見受けた。もしその勢力は現代でも健在だったら時速60キロしか出ない車と不格好な車は闊歩していたと思う。思うと言うかその分かれ目は凄すぎる。筆者は言うなれば陸上部の主将だったときその部長(教員のなる部位。)はそのような考えだった。「スピード違反するのは100キロも200キロも出る車を売ってるからで60キロしか出ない車にすればいい。」とのたまっていた。今考えて見ると昭和47年代は左翼化教員の横行する時代だったと言える。言うなれば車は60キロしか出ない原付は30キロしか出ないモノばかり出回っていたら現代の人々も考えは180度変わっていたと思う。何でも言うなれば国によって統制をされなければスムーズに動かない体制となる。人間はそのような環境でそうなってしまうからと言える。もしそのとき本田宗一郎は何も言わないでいたら現日本はトロッキー社会となっていたろう。トロッキー主義社会は別名権威的主義社会と言える。一部のその冨居らだけ徒党を組んで支配階級を造る。それ以外は被統制民族となって奴隷となって君臨させられるところとなる。言っとくけどジェンキンスさんは北で60キロしか出ない車そして30キロしか出ない原付!?を運転していたそうだ。けして架空の話ではないのだ。ソ連は言うなれば共産社会ではなく権威的主義社会だったようだ。8月クーデターは権威的主義者と特権階級によって生じさせられた。共産社会だったらそのような特権階級はいない筈。言うなれば共産社会と嘯いていたのは西側報道だったと言える。ウクライナは特権階級の退避場所と言えてそれと相性いいナチス勢力は意気投合するのは言うのを待たないものだ。


よく資本主義に限界は生じたとのたまう人らはいるけどそうじゃないのだ。偏向評価を亡くせばいい。資本主義を上手く回すには権威的主義へ傾倒しなければいいのだ。「人の買うモノは欲しくなくても買うけど人の買わないモノは欲しくても買わない。」これぞ権威的主義と言える。それをのっけに刷り込んだツールは制服管理教育だ。更にはそれをもってのアップデートする左翼メディアと言える。言うなればKATO勢力の推進するものだけを買うようにもうのっけに洗脳されている。資本主義に限界はないのだ。皆一人一人自主的をもって買うものを判断するなら公平に競争可能と言える。いろいろな場所から所得税は上って国は潤い皆さんへ返ってくるのだ。言って仕舞えばKATO勢力は日本のその市場を独善的をもって支配しているから中小企業8割は破産するところとなる。言うなれば外国勢力より不等な攻撃を受けていると言える。それをもってだ。皆さんのその人の判断の仕方は*ーグ*検索と同一だったのを最近分かり得た。人の見るウェブへアクセスすると順位は上昇するけど人の見ないウェブへアクセスすると順位は下降する。このような評価の仕方を*ーグ*はやっている。言って仕舞えば同一系統からインプリントされていたものと言える。言って仕舞えば偏向SEOをやらされているものと言える。これではいくら努力しても経済はよくならないものと言える。経済を良くするには自主的評価を優先してモノを買うようにすれば競争は平等に可能となって誰も潤うところとなる。それには中一のその時期の言うなれば制服管理教育を見直すことと言える。