土木災害探偵。

拙著の紹介と土木をテーマとするブログです。天災人災マッドフラッドそして政災。事実を保証するものではなくエンタメ路線とかも入っています。

ロシアはかのシベリアをどのように攻略したか表向きの情報を吟味する。あまりにも我々を過小評価されている造り話みたいだ。

さあロシアはかの広大なシベリアの征服をどのように成し遂げていたか。もしくはそれは噓で各!?をもってイギリスから先制攻撃を掛けて温暖で更に豊穣のタルタリアを無残に滅ぼすところとなったかを表の情報で吟味をする。二つのその事実は浮上していた背景とは古地図と現情報の乖離だ。どのような意味か。現情報をもってするとタルタリアたる名前は過去の現代編纂地図を見ても何処にも載っていないのだ。そしてだ。シベリアと言うのは1816年より載っていてその前身は唯の厳寒の荒野となっている。西側にボソボソと狭い範囲でシビル汗国と言うのを見受ける。その場所はどうやら表向きではシベリアと言う言葉の語源らしいとなっている。それをもってだ。表向きの情報を見て見るとその場所は元はジンギスカンの息子のジュチの所領で後にテュルク系民族に乗っ取られ支配者はクチュム汗となったようだ。首都はそのときチンギトゥラからトボリスクへ移って広大な更に近代的と言える城下町を形成する。クチュムは隣のモスクワツァーリ国を攻め込もうとウラル山脈を乗り越えて最前線の鉱山を経営するストロガノフ家を攻める。ストロガノフ家は自分の守備隊を使いそれを駆逐すると同時に追って追って山脈を越えてトボリスクまで攻めて行く。その前をもってエルマーク総長は深手をもって倒れる。残った守備隊はトボリスクを陥落させてその16キロ東側へ要塞を建設する。その場所をシビル若しくはシベリアと名付けてその場所からユーラシア一帯を攻略するベースとする。言って仕舞えばシベリアとはトボリスク要塞の名前だったと言うところだった。とは言え攻略も何も殆ど抵抗するものはいなく庇を乗っ取り母屋も乗っ取ると言うスムーズな征服だったと言える。元々は広く寒い場所で住人も殆どいなく言うなれば殆ど入植と言った方をよくする。以上は表をもっての情報だ。問題はそれ以前は寒い人のいない場所だったかと言うと古地図を見ると人の痕跡は見受けて近辺には船のマーク(貿易の痕跡!?)まである。アラスカ付近の海峡は古地図をもってするとタルタリア海峡となっている。更にタルタリアは言って仕舞えば北アメリカまで続いていた。そのところを見ると現地図を見ると驚く程の乖離を見受ける結果と言える。国旗までありどう見ても人のいない寒い荒野と思えないものと言える。更に目を引く事実を見受けるのは樹齢の若い木を多くするところだ。普通そのような場所は原生林を多くする筈。とは言えそのようなものは現代では殆ど見受けないものとなっている。やっぱり各!?攻撃をもって滅ぼされていたか。地下窓構造及び上部及び下部の不連続構造はこの周辺に多くアメリカも多い。文明は恐らくリセットされて我々もその手前にいる。我々の踏んでいる下には一つ前の文明の残骸はある。言って仕舞えば地下へ真実は層をなして埋もれている。我々は何番目か。


それをもって表のその経緯を素直な目で見て見る。一国を挙げての侵攻と言うより地方の寡頭勢力とならず者の集まりの小競り合いに見える。言って仕舞えば地方の単衣の鉱山経営者は山向こうの山賊にいつも邪魔されている。いろいろ考えていた挙句傭兵を雇い駆逐して勢いに乗って山向こうにまで遠征したら思いのほか簡単に陥落せり。ついでにユーラシア東部全体をいつのまにか征服していた。(笑。)現代をもってこのような話をしたら恐らく皆さんは笑うんじゃないだろうか。無理を見受けるところだ。ジンギスカンは苦労して征西するところをあっと言う間に東側を征服するなんて出来すぎている。しかもその理由は寒帯に属していて人は殆どいなく言って仕舞えばそれを匂わして現実感を押し付けている。もし寒帯じゃなく人も大勢いたらやっぱこの話はでっち上げとなるのだ。イワン大帝に特許をしたストロガノフ家と言う。とは言え見た目は地方の小競り合いに過ぎないものと言える。次いでをもって東部を征服せよ!?なんて言うには無理を見受ける。日本で言うなら村上海軍は中国のならず者を追いやった。ついでに将軍家は村上海軍へ中国まで攻めて行けと言っているのと同一のナンセンスな話と言える。言うなれば温暖な豊穣のタルタリアを滅ぼした事実を隠蔽する目的のストーリーと言える。筆者だったらもっと手のこんだ話を造ります。言って仕舞えば我々を過小評価して権威のその力を借りているだけである。以上。