土木災害探偵。

拙著の紹介と土木をテーマとするブログです。天災人災マッドフラッドそして政災。事実を保証するものではなくエンタメ路線とかも入っています。

シェイプシフター龍!!レインボーマン放送禁止の陰に統制社会の見え隠れを感じる。ポリコレのその踏絵は横溝正史さんの表紙か!?

レインボーマンと言う特撮実写は放送禁止となった理由!?恐らく40代以上の人らは知っている「インドの山奥で!?」と言うテーマ音楽。それで知られるこの特撮は過去に大変脚光を浴びているものとなる。と言うのはこのドラマの中身は様々な社会問題を抱えていてそのダイジェスト見たいなものだった。それはだ。インフレ演出及び薬物犯罪そしてエトセトラなど現代の社会問題の前哨戦はもうすでにこの実写をもってやっていたと言う皮肉だ。更にだ。悪の結社のテーマソングと言える「*ね*ね*ね*ね*んじまえ。」と言う現代の人らとすると明らかをもって耳を塞ぐフレーズを歌っていた。言って仕舞うならポリコレへ諸に引っかかるものだったと言える。どう言う意味かと言うとだ。お札を空中からばら撒いてインフレを生じさせたりキャッツアイと言う薬物をばら撒いて人々をぼけさせてコントロールしやすくするとか現代をもってすると恐らく陰謀論!?の範疇と言える。それを子供番組のゴールデンタイム金曜7時30分くらいからやっていたと言える。けれどもそのときは普通に問題なく見ていて更にその番組は教育にいいと言う声までもあったのだ。どうして現代となると評価は下がり放送禁止までなったか。それは言うなれば右から左社会となった影響と言える。ストーリーをお浚いして見よう。レスラーの大和猛は妹のその足を直す資金を得る目的をもって闇格闘技に参加する。けれどもその場所で利を得られないでいた彼はインドのヒマラヤ山脈の麓へ行って修行する。けれどもそのときパキスタン人に見誤れてインド兵に撃たれてしまう。それを助けたのは提婆達多と言う老いぼれ修行僧だった。彼は言うなれば世界平和を達成する目的で自分のその魔力を使用しているところだった。老いの後の後継者を探していたところ大和猛を見つける。そして一緒に修行させて更に彼の体に憑依する。恐らくは以上の状態をもってレインボーマンの誕生となる。そしてその後様々な悪と戦うところとなるものだ。このときまでは別に問題ないようなものと言える。だったら何を問題とするか。いろいろ憶測をウェブで出されている。提婆達多と言うのは釈迦のライバル及び敵だった!?とか。*ね*ね団の首領は朝鮮問題に絡んでくるとか。けれどもそのような問題ではない。言うなればポリコレと言う言論統制と子供に見せるにはあまりにも凶悪ないろいろな所業と判断されていたからだ。と言うかこれからの日本を背負って立つ子供らに見せなくてはならないものと言える。けれども子供に悪影響を及ぼすと言う詭弁によって放送禁止となっているものと言える。と言うかあまりにもアカラサマと言える。現社会問題となっているあらゆる問題はこのドラマに反映されている。よって為政者!?にとって頗るよくないドラマ!?と言えてマスコミへ圧力を掛けているところだったんではないか。更に言論統制をきつめるところをもっての上。いろいろな分野にそれを及ばせて社会的主義化させていく道具とされている。言って仕舞うならポリコレはそのような意味で使われていると共和党の議員らは言っている。筆者も普通のブログを書いているつもりでも妙な罪悪感を感じている。こうやって共産社会へ持って行くと言うもんか。言うなればレインボーマン放送禁止はポリコレそして共産化をもっての前哨戦か!?と言える。以上。


横溝正史昭和表紙をご堪能あれ!?もし表紙は気味悪いと言うならポリコレ洗脳に掛かる!?

表現のその自由を押さえられると人間自身も弱くなって行くようだ。更にそのボーダー!?もきつまっていく。それまで殆どパスしたものは次の時代となってオミットされる。それを言うならいつのまにか陳腐化される表現!?と言った方をよくするか。言うなればだ。横溝正史さんと言う推理小説ライターを昭和に見受けるけれどだ。彼の文庫本の表紙の変革は少しばかり激しいものだ。と言うのはだ。のっけの表紙は暗いトーンの利いた陰影のハッキリする更に奥深いモノとなっていていいものだった。けれども現代のその表紙は少女漫画雑誌のキャラクターとなって浅いモノとなっている。そしてだ。現代の若者は昭和のその表紙のキャラを見ると気味悪くなると言って中古の本は殆ど売れないものとなっている。購買層は昭和のマニアック世代だ。恐らく脳は変化して現代若者は弱くなっているモノと言える。大の男は昭和の表紙は気味悪いと言ってそれでもって買わないなどと言う。これって一種の雌化と言える。言って仕舞うなら表現形式を押さえられたことによって弱くなってしまったものと言える。まつ毛そして目を大きくすることをもってヒョロ顔を好む日本男児を多くするようになってしまった。そうなんですよ。ポリコレを通して行くと弱体化は目に見えて行く果てはなよった民衆ばかりの日本となり経済も腕っぷしも衰えて行く国家となる。実を言うとある世代を境に昭和の表紙はいいと言う人ら!?と悪いと言う人ら!?は別れる。昭和と平成の境だ。生まれじゃない。どの時代に育った人らかをもって分岐する。昭和生まれをもっても平成時代に育った人らはやっぱ昭和の表紙は嫌いなものと思うだろう。昭和のその時代に育った人は横溝正史の昭和表紙の本は高値をもって売られている。言って仕舞うならマニアック本となってしまった。けれども平成時代に育った人らは見向きもしないものだ。言う間でもなくポリコレの強化されていたのは平成時代をもって左の人らの元気な時期だと言える。テレビ番組でも差別なモノとかこわいモノを流す。すると親はすかさず怒鳴り入って番組の中止を求めたのもこの時代だった。平成は言うなれば左サイドの強くなった時期で子供らのその美観に頗る影響を与えて更に弱くしたものと言ってもいいだろう。以上。