土木災害探偵。

拙著の紹介と土木をテーマとするブログです。天災人災マッドフラッドそして政災。事実を保証するものではなくエンタメ路線とかも入っています。

シェイプシフター龍!!F1のそのレギュレーション1988改定に日本没落の目論見!?ワンボックスカーの普及に経済の低迷を見る。

 F1のホンダエンジンを抹殺する目的をもって1988レギュレーションをターボ不可の状態にした。その変更を行ったときは1988年の中頃かと言えて日本の国内車両はターボ化全盛期と言える。言う間でもなくホンダ及び日産のその導入は新車種は多く出て居たところを見ても明らかだ。そもそもだ。このときは日産よりホンダは遅れていた理由は日本ならではの憚りを見受ける。どのような意味かと言うとだ。レースとはその成果をフィードバックする実験場だと言っていい。それを周囲はホンダの独り舞台と見てよく思わないでいた。そのようなところでだ。ホンダは憚りを見せている最中に日産はかの鉄仮面と言われるスカジーTURBOを出していたのだ。恐らくわざわざ4気筒にしたのはターボの圧縮熱を見込んでのものと言えて一気筒数を多くした方をよくする。西部警察をもって登場したその車は視聴率を大幅に上げていたのだ。その後かホンダは控えめにシティーTURBOを出す。恐らくホンダは自分らのその影響力を寡頭勢力へ知られるのを恐れてまだそのときは控えめだったと言える。ホンダはターボをエンジンに導入されていたのは殆ど時間を得た後と言える。
 さあ1986年頃にフォードよりターボエンジンを各F1チームに供給される。その構造はV6型90度1500ccをもって1000馬力超をもって燃料は恐らく猛毒のトルエンだ。ただそのエンジンはターボだから高圧縮に耐えうる燃料と言うことをもって重用されていたと言える。マクラーレンホンダはそのエンジンを更に改良されてF1レースはホンダの独り舞台となった。言うなれば日本の目立った台頭となっていたのだ。これをもって寡頭勢力は潰しへ掛かる。言うなればレギュレーション変更だった。エンジンを3000ccNAにして馬力競争にピリオドを打とうとされていた。けれどもいきなりだと無理はあるからしばらくは混走にして後は3000ccの土壇場とされたのだと言える。
 それをもってターボはなぜ出力は出るかと言うと元はジェットエンジンの応用だった。そのエンジンは比較的難な構造ではなくタービンとコンプレッサーそして燃焼そして噴出のプロセスとなっている。言うなれば空気のその流速を圧縮して熱して加速変化させる構造となっている。それを言うなれば車のエンジンに応用したのだ。排気側と吸気側を一緒に結んで排気側にタービンを入れて排気力をもってそれを回してその力をもって吸気力を倍増させる。過給と言うのはよく言ったものと言える。燃料は倍加すれば排気量アップと同一の状態となって出力は向上するところとなる。そのとき日本の言うなればワークス勢は改良改良を重ねて更に軽量化と言うお家芸をもって1000馬力を優に超えるところとなった。
 そもそもスポーツと言うのは奴らの考え出したものをもってそれに熱狂させて世界を左右に自在に操ろうとされていた。国連にしてもそうだけど言ってしまえば日本を押さえる目的をもって編成されていたものだ。FIAも言う間でもない。日本に言うなれば追い風となったとき即!?レギュレーション変更となったのは柔道!?の結果を出すまでもなく自明と言える。さあその後はNAをもっての舞台となったけど日本では排気ガス規制はのりにのったときをもって規定を再度変更してハイブリットターボと言うのを供給されるようなところとなった。もう日本の技術力はベクトルと異なる方向に行ったからだ。その構造と言うのはタービンの動力を更にジェネレーター側に持って行きプラグをもってのスパーク力をアップして更に出力向上を見込んだものだ。エンジン出力は1600ccをもって1600馬力となって再度馬力向上となった。このように日本の景気を見てFIAはその規定を変えて行くところとなるものと言える。


 さあそれで最近の車はボックスカーを主流とさせる。前は箱型セダン車両及びクーペを一般的とされていた。このとき日本車は更なる高性能化をされていて外国車は殆ど抜きつ抜かれずの勢いだった。アメリカはそれをもってブッシュジュニア政権のとき日本車バッシングを呼びかけ更に高い関税を吹っかける。さあそれと同時期をもって日本は言うなればパジェロとかランドクルーザーなどの四輪駆動車を多く普及させる。日本車は殆どスポーツカー化されていた中で殆ど勢いをとめるような普及と言える。それをもってスポーツカー化をとめられてシルエットも姿を変えてボックスカーそしてずんぐり型となってくる。それをもって強烈な排ガス規制を掛けられエンジンの高性能化はスポイルされカーマニアにとってはあまり魅力的ではない車を蔓延らせるところとなった。
 するとそのカーマニアらは旧車に目を向かせるところとなる。さあ前述のブログを見て貰えば分かると思うけどこのとき海を隔てたアメリカでは25年ルールをもって自国人を日本車へ向けさせたのだ。言って仕舞えばアメリカへ大量に日本車は行ってしまい日本に残っているのは殆ど僅かと言える。そのときその残った車両に高い金額を吹っかける。中古車ディーラーはそのような情勢を造ってくれた海を隔てた隣の国のスポンサーへバックマネーを渡すと言う寸法となっている!?と言える。よく考えて貰いたいのは四輪駆動車はどうしてあの時期に流出するようになったか。更にそれに続く排ガス規制。それをもってカーマニアは車スタイルの変容によって旧車へ行く。さあそれをもってディーラーより高い金額を吹っかけられる。その裏に外から牛耳られていたお役所をもってのコントロールはあったものと言える。
 カースタイルは流線形より不自然をもってボックス型へコペルニクス的展開となって行く。言っとくけどボックス型は車内スペースは確保可能だけど横風に弱いからスピードを出すと危険で高速道路はトンネルを抜けるとき更に危険は増加する。車は低い程安全だ。