土木災害探偵。

拙著の紹介と土木をテーマとするブログです。天災人災マッドフラッドそして政災。事実を保証するものではなくエンタメ路線とかも入っています。

シェイプシフター龍!!恐竜そして人類は共存されていて会話をしていたと言う証明。エピデンスのないものは実在しないものとする考えは誤り。

シェイプシフター龍!!1巻より抜粋。以下。

古来恐竜と人類は同一の大きさをもって会話をされていたようだ。言うなれば空想ではなく南米でカブレラストーンと言う石に恐竜と人類の殆ど等身大をもって描かれているものを見受ける。現代のような大きい恐竜と小さい人類のような認識とは異なる。そして相互に共存なんて論外とされている。けれどもそのストーンには相互に共存されていて更に会話までされていると言う。どうと言えるか。空想にするにはあまりにも人間のその思考を越えているものと言える。言うなれば事実だからそのように描けたと言える。そしてだ。人類は恐竜を馬のように乗馬されていた光景も描かれている。するとおよそ恐竜は矮小化されていたか人類は言うなれば巨人だったかとなる。恐らくは人類は巨人だったと見受ける。そしてか。驚くところは19世紀までその巨人は実在をされていたこととなる。すると恐竜は何処に行ったか。更にその恐竜は人間に及ぶ知能を持っていたところと言える。ネス湖の恐竜と呼ばれるネッシーは有名だけどもしその恐竜は人間以上の知能を持っていて更にその下部及び人類を配下へ収めていたらどうなるか!?その恐竜のいるところはイギリス王室の近辺をもってそのエリザベスもその名を分解すると「アイ リザード バース。」となると言う。言うなれば「私はとかげを借りて生まれる。」と言う意味だと言われている。
真偽はさておき二足歩行だから進化しているとか知能は高いと言うのは恐らく傲慢な考えと言える。人類は言うなれば二足歩行となったのは第三者関与をもって手を自由にすればいろいろ奴隷にして使えて都合いい状態だったと言える。言うなれば四つん這いとなっている恐竜はその身をもって司令塔のようなものとなっていたんではとその想像を展開させている。
さあ前より続いているタルタリアだけど古いその地図だとアラスカ近辺よりヨーロッパまで続いているようだ。現代の言うなればモンゴル帝国版図とほぼ一致されている。とは言えイギリスはその版下には入っていないから気象兵器をもってその言うなればモンゴル帝国を亡ぼすものとなったんではないかと言える。そのとき巨人はほぼ全部駆逐されていたものと言える。それもそれほど時間は経過されておらずだ。想像の弩を過ぎるのもいかんと思うけどそのときまで恐竜は言うなればあっちこっち闊歩されていたものじゃないか。地層を見ると人類のその骨より上に恐竜のその骨はあったところもある。表の論では洪水によって攪拌されていたものと言うところとなっている。けれどもカブレラストーンはその別の事実を表する。


それをもって唯物論を前提にする考え方は「観測不可能なものはないものとする」と言うようなものだ。そのような思考の行く先はエビデンス言うなれば証拠はなければその件はないものとするとなる。現代ではこのような考え方は頗る普通と言える。そう言ってもだ。これは言うなれば我々をもっての常識ある考え方だったかと言うと疑問も残る。と言うのはだ。電波は見えないけれど実在する。オシロスコープと言うものをもって確認可能だ。それを言うとだ。もし電波は確認する手段はなければないものとなってしまうのだ。言うなれば確認する手段のない実在するもの!?は強引にないもの!?となってしまう。これは言うなればあらゆるところに適用する危険な考え方と言えるのだ。エピデンスのない現象は殆ど数多くあるにも拘わらずそれはないものとなってしまう。為政者及び御用学者は自分らの殆ど都合悪いエピデンスを隠蔽されてそれはないものとする。更に権威をとことん信用させるように洗脳する。ときにはエピデンスをでっち上げることをもって過去のその歴史を塗り替えることも可能だ。社会的主義国はそうやっている。的とわざわざ付けたのは表向きは自由的主義国家でもそうではない国もあるからだ。確認不可能なものはないものとすると言うニュートン力学は古い遺物をもって更にはリベラル進歩系には都合いいものだけに脱却されていい。科学的なものの見方は逆に科学ではないものと言える。て言うのはこのような考えは裁判には望ましいけど国家間をもっての事件を吟味するには望ましいものではない。過去に拉致問題はあったのは記憶にはもう古いけどその解明をとことん阻んだのはリベラル進歩系陣だった。証拠はない。そして証拠は出て来たら今度は日本は悪い!?となった。言うなれば証拠もないのにそれを論ずるのは進歩的ではない!?だとか言う風潮は拉致問題の浮上を遅らせていたのだ。拉致問題の隠蔽と前述したタルタニアの件を同一線上をもって考えてはいけないなんて言うかも知れないけどその奥へ見え隠れするのは為政者をもってのエピデンスの隠蔽なのだ。拉致問題及び大統領選挙の情報隠蔽は同一線上ものと言える。